研究講座

チェアサイドの口腔内科学D

−バイオフィルム感染症としてのう蝕・歯周病治療−

松本歯科大学歯科薬理学講座教授

  王宝禮

 

 

 

 

終章 口腔内科医の名医へのヒント

1.う蝕を考える

 現在,むし歯の原因菌は,そのバイオフィルムを形成するグラム陽性好気性菌ミュータンスレンサ球菌(MS菌)であることが確認されています.これまでのMS菌の感染経路の研究から,その主な感染時期は歯が萌出している生後1931カ月までの1年間であり,さらにこの菌は元来口腔常在菌ではないことが明らかにされました.つまり,口の中に存在する必要のない菌だとわかってきたわけで,主な感染源は母親であり,実際には育児の中で,母親が使ったスプーンなどで子どもに食事を運ぶことで感染してしまうのです.この行為そのものは子どもの成長発育の上で必要不可欠です.そこで母親の口腔内で増えるMS菌の菌量を予防管理で減少させることができれば,母親から子どもへの感染を防ぐことができることが証明されました.これらの発見から,PMTCとMS菌に対して特異的に殺菌作用の強いクロルヘキシジンを用いた3DS(3月25日号4面参照)によって,母子のMS菌を除菌しバイオフィルムをつくらせない状態にすることで,長期間う蝕を予防できる時代となりました.

 2.歯周病を考える

 これまでの多くの研究からアメリカ歯周病学会は,代表的な歯周病原因菌としてポルフィロモナスジンジバリス菌(Pg菌),アクチノバチラスアクチノマイセテムコミタンス菌(Aa菌),およびバクテロイデスフォーサイセス菌(Bf菌)などの口腔内常在菌であるグラム陰性嫌気性桿菌群と認めてきました.それゆえ,歯周病治療に対しては細菌叢を知り,薬剤のもつ殺菌作用と静菌作用を上手く使い分ける必要があります.すなわち,歯周病原因菌が口腔内常在菌ということから静菌作用のある抗生物質の選択が第一となります.

 歯周病に対する抗生物質にはバイオフィルム破壊と,組織移行性(歯肉内に長期間存在)の薬理作用もつ薬剤が必要だと考えました.私の研究成果では早期発症型歯周病治療においてPMTC,SRP法にマクロライド系アジスロマイシン(商品名:ジスロマック)を併用することによって,従来法と比較して半分の期間でメンテナンスに入ることに成功しました(4月5日号4面参照).

3.抜歯を考える

 歯科医師は日常的に抜歯後の感染予防に抗生物質を投与します.その薬剤の多くは細胞壁合成阻害薬であり,殺菌作用をもつペニシリン系やセフェム系を鎮痛剤として,非ステロイド性抗炎症薬を用いると思います.一方では,医師は軽度な感染症や発熱でも抗生物質を処方したい気持ちになるもので,その中には不必要な処方もたくさんあることと思います.実際には開業医の内科の多くの先生方は風邪の症状に対して,ペニシリン系,セフェム系を投与しています.耐性菌に対してはどの医師も脅威的であると知りつつも,その細菌がどの抗生物質によって殺されやすいか,どれくらいの薬剤を投与することができるのかを十分に検査できないのが現実です.色々な状況下で,長期間ペニシリン・セフェム系が人類に投与されてきたわけです.私は現時点では,マクロライド系の進歩により,抜歯後にはクラリスロマイシン(商品名:クラリシッド)を薦めております.

 う蝕治療の薬物投与は,抗生物質でなく,MS菌に特異的に除菌効果がある薬剤の選択となります.一方,歯周病治療への抗生物質の投与の基本は,短期間の投与で原因菌の増殖を抑制することです.難知性の慢性歯周病には静菌作用のもつタンパク質合成阻害薬を基本とし,急性症状を呈する場合は切れのある殺菌性をもつペニシリン・セフェム系,あるいは核酸合成阻害薬であるニューキノロン系の選択を考えます.ニューキノロン系は非ステロイド性抗炎症薬との併用による痙攣の報告があります.そして種々の薬剤の抗菌力,抗菌スペクトル,体内動態,体内効果,安全性,薬理特性及び副作用について添付文書をもとに,歯科医師は誰よりも知らなければなりません.加えて,抗生物質が広く使われるようになると,細菌やウイルスは生き残るために自らの遺伝子を変えることによって薬に対して抵抗性を獲得し,耐性菌になるように進化します.また,抗生物質による重度のアレルギー(アナフィラキシーショック)の危険性も忘れてはなりません. 

 

 4.口腔乾燥症を考える

@増え続ける口腔乾燥症(ドライマウス)

2003年,厚生労働省長寿科学総合研究事業の「高齢者の口腔乾燥症と唾液物性に関する研究」によると,口腔乾燥症を自覚している人は調査対象となった770人中200人であり,全体の26.8%を占めるという高い数字でした.想像以上に多くの人が口腔乾燥症を訴えられていることを,私達にも自覚させる報告となりました.口腔乾燥症増加の原因が,ストレス社会,薬物の長期投与,高齢化社会などによることから,今後も口腔乾燥症を訴える人が増加していくであろうことは推測できます.さて,近年口腔乾燥症に対して,様々な診断法や治療法の報告が相次いでいます.しかし,口腔乾燥症に対して漢方薬を用いる治療法が十分に普及していないことは否めません.その理由の一つには,これまで西洋医学のみによる教育を受けてきた多くの歯科医師が漢方医学に触れることへの戸惑いをもっているからだと思います.

A漢方薬と証

生体は恒常性を保っていることから,拮抗成分が体内に共存していると考えるのが普通です.私達の生体内でアドレナリンとアセチルコリンがバランスをとっているように,生体系には必ず拮抗系があり,拮抗成分を持つものが共存しています.例えば,漢方薬として処方される生薬の組み合わせは,生体の機能を維持するために互いに作用を打ち消し合い,安全に働くこともあれば,そのとき不足している成分の作用が求められることにより,感受性の高いものから効果が前面に出てくることもあります.すなわち,漢方薬は生体の機能を維持するために,生体に合わせてくれるような側面をもつ薬物であると言えます.また,漢方診断の基本は「証」を導き出すことにあります.漢方独特の種々のパラメーターで病気をとらえるのです.その代表が,虚実,陰陽,気血水という3つのパラメーターであり,それらのパラメーターを総合的に判断して治療方針を決定し,「証」を導き出すことで,具体的な生薬や処方を指示します.

B歯科医療に漢方を

 漢方医学は一人ひとりに「証」を定め,患者さんごとに応じた治療を行っていく医学ですが,漢方を専門としない医師には証の概念はつかみにくいものです.そのことが,せっかくすばらしい日本の伝統医学である漢方医学の「食わず嫌い」状態をもたらす一つの原因になっていると思います.私は漢方薬の普及に努力する歯科医師の一人でもあります.さて,昨年度より本学附属病院では口腔外科において口腔乾燥外来が設置され,口腔病理と私とで従来の口腔乾燥症治療に加え,漢方薬を取り入れた治療で口腔乾燥症に対処しています.現在,病診連携という形で長野県内の先生方と共に口腔乾燥症に向き合っております.

 

<参考文献>

@王宝禮,王龍三:口腔乾燥症への漢方治療−口腔内科医の時代−.歯界展望6月号.医歯薬出版.2004

A王宝禮:あなたも口腔漢方医に.学建書院.2006年発売予定

 

        読売新聞 2004年9月21

 5.皆様へのメッセージ

 チェアサイドにおいて新しい薬を用いることは,時としていくつかの壁が存在します.それは歯科治療において,患者さんにとって有効な薬剤が数多くあるにもかかわらず,その中のいくつかの薬剤が歯科の治療保険適用外であるため投薬に限界があることです.患者さんのためにも,今後,歯科医学者・歯科医師が国に薬剤の歯科治療における有用性をEBMをもとに証明し,各種学会・マスコミ・世論に対し発表し,内科的発想を持ち続けることです.